宮城県被災地訪問
先週の祝日を活かして、石巻や東松島市、仙台市沿岸の震災被災地を訪問して来ました。
西日本にいると被災地の現状がほとんど分からないので、些細な情報しかないかもしれませんが、こちらで書かせていただきます。
1ヶ所目は石巻市にある石巻NEWS'ee(ニューゼ)という石巻日日新聞の博物館。
津波で社屋が浸水し、輪転機が使えなくなってしまったため、手書きで新聞を発行し続けたということです。
内容は被害状況、避難所の人数、物資、復旧状況など。
まるで戦時中のような話ですが、電気も情報源もない状況では紙とペン、人の足という原始的なものが最も役に立つということが分かります。
現在では復興が進んだ反面、被災者の見えない化が進んでいるというお話しでした。
現在でも建物は少なく、工場はあるものの住居は建築できないそうです。
3ヶ所目は東松島市の旧野蒜(のびる)駅。
震災当時3.7mの津波が襲い、現在では使われていませんが、震災遺構として残され、1階は観光センター、2階は震災の博物館として使われています。
野蒜駅から発車した列車は停止し、線路の前後が浸水したため1日以上車内で過ごしたそうです。
児童、教職員、地域住民320人が避難し、2階まで津波が押し寄せました。
極寒の中屋上で一晩過ごし、多くはヘリコプターで救出されました。
現在では廃校になり、1〜2階はそのままに公開され、4階はビデオや資料の展示施設として使われています。
鉄柵が曲がったところまで津波が来ました。
震災直後の写真
1階部分
屋上より海岸方面。
震災前は住居が立ち並んでいましたが、現在は周囲に住居が建築できず、現在でも空き地です。
今回の被災地の訪問で改めて感じたことは、震災が宮城の人々の人生を大きく変えてしまったということです。
残された人々は亡くなった人を悔やみ、少なからず全ての人の心に傷を残しています。
小学校には津波が引いた後児童が戻って来て、黒板にチョークで言葉を書いていったそうです。
「一からのスタートだけどがんばろう」
この言葉に重みを感じました。